水土里ネット紀の川連合の概要

組織

水土里ネット紀の川連合(紀の川土地改良区連合)は、9つの土地改良区から組織されています。

9つの土地改良区は、下記のとおりです。

水土里ネット小田井(おだい)

ホームページ英訳(小田井)(English)

小田井土地改良区 TEL : 0736-73-2173

 

水土里ネット七郷井(ななごうい)

七郷井土地改良区 TEL: 0736-22-8010

 

水土里ネット三谷井(みたにい)

三谷井土地改良区 TEL: 0736-22-8120

 

水土里ネット藤崎井(ふじさきい)

藤崎井土地改良区 TEL: 0736-62-2007

 

水土里ネット荒見井(あらみい)

荒見井土地改良区 TEL: 0736-73-2138

 

水土里ネット安楽川井(あらかわい)

安楽川井土地改良区 TEL: 0736-66-8960

 

水土里ネット六箇井(ろっかい)

六箇井土地改良区 TEL:073-461-1024

 

水土里ネット紀の川左岸(きのかわさがん)

紀の川左岸土地改良区  TEL: 073-471-5386

 

水土里ネット新六箇井(しんろっかい)

新六箇井土地改良区 TEL: 073-461-5260

 

水土里ネット小田井(おだい)

 

改良区の概要
所在地 紀の川市粉河4620 (tel:0736-73-2173)
設立年月日 昭和26年11月30日(認可番号:和5)
地域 橋本市(旧 伊都郡 高野口町)、伊都郡かつらぎ町
紀の川市(旧 那賀町、粉河町、打田町)、岩出市(旧岩出町)
受益面積 566.6ha(平成28年12月31日現在)
組合員数 2,188 人 (同上)
沿  革

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木積川渡井

徳川時代宝永4年(1707年)第5代藩主徳川吉宗(後の8代将軍)の命を受けて大畑才蔵が開設着手。才蔵存命中には打田町まで開削、死後8~9年を経て最終地点の岩出町まで施工しました。

 延長30kmに及ぶ長い水路であり、当時は土水路であるため漏水などで末端まで水が届かず水管理に苦労しました。井堰も木と石で造ったもので、洪水のた びに流されその復旧に苦労が絶えませんでした。また、下流の農業用水確保の観点から現在のようなコンクリートと鋼鉄製ゲートを併せ持つ頭首工は許されませ んでした。

 昭和28年の紀州大水害に伴う災害復旧事業で十津川・紀ノ川総合開発事業に則った井堰統合を行うとともに、上流ダム群による水源確保ができたので現在のような堅固な構造物になりました。災害復旧事業は昭和32年12月に完了し、位置は変わっていません。

 その後施設の老朽化が進み、国営造成施設整備事業によりゲートを更新し、平成5年に完了しました。
 水路は国営付帯県営土地改良事業紀伊平野地区や団体営事業により順次コンクリート三面張りに整備しました。

 現在、国営かんがい排水事業第二十津川紀の川地区(平成11年度着工)により頭首工の再整備(護床工・魚道整備等)を、国営農業用水再編対策事業大和紀伊平野地区(平成13年度着工)で水路の再整備を進めています。

 

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水土里ネット七郷井(ななごうい)

 

改良区の概要
所在地 伊都郡かつらぎ町丁ノ町2160 (tel:0736-22-8010)
設立年月日 昭和27年3月5日(認可番号:和11)
地域 伊都郡かつらぎ町
受益面積 47.0 ha(平成28年12月31日現在)
組合員数 244 人 (同上)
沿  革

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七郷井改修記念碑

徳川時代元禄12年(1699)には存在していた資料があり、小田井水路より古くから存在していました。
 当時の取水位置は現在の小田井からの分水地点よりも上流にあったようですが、近年は下流180mくらいのところにありました。

 昭和28年の大水害により流失し、統合井堰の小田井から連絡水路を経て県立医科大学付属病院紀北分院裏の弁天谷川をサイフォンでくぐって旧来水路に接続しています。

現在、国営事業により水路の再整備を進めています。

 

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水土里ネット三谷井(みたにい)

 

改良区の概要
所在地 伊都郡かつらぎ町丁ノ町2160 (tel:0736-22-8120)
設立年月日 昭和26年9月25日(認可番号:和3)
地域 伊都郡かつらぎ町
受益面積 33.3 ha(平成28年12月31日現在)
組合員数 156人 (同上)
沿革

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サイフォン

徳川時代明和8年(1771)に開削されました。
 昭和の初めまで井堰(三谷橋上流 500m)で取水していましたが、その後ポンプ取水(三谷橋上流200m)に変わりました。

 昭和28年の災害時は、ポンプ及びポンプ場を復旧して取水を続けることができましたが、 昭和34年の伊勢湾台風による被災時は、河床低下して取水困難となり、小田井から分水するほうが経済的との判断で昭和36年から七郷井と同地点で分水を受 け、サイフォンで紀の川を渡り旧来水路に接続しています。

 その後、団体営土地改良総合整備事業(平成2~7年)で弁天谷川サイフォンより下流の水路の路線変更(一部七郷井水路と平行路線)や紀の川を渡るサイフォンの更新を行いました。

 現在、国営事業により水路の再整備を進めています。

 

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水土里ネット藤崎井(ふじさきい)

 

改良区の概要
所在地 岩出市高塚107 (tel:0736-62-2007)
設立年月日 昭和26年11月30日(認可番号:和4)
地域 紀の川市(旧 粉河町、打田町)、岩出市、和歌山市
受益面積 519.8 ha(平成28年12月31日現在)
組合員数 1,909 人 (同上)
沿  革

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排水路施工記念碑

 徳川時代第2代藩主光貞の命を受けて大畑才蔵が、元禄9年(1696)から元禄14年にかけて開削しました。
 那賀町藤崎から和歌山市山口まで約24kmに及ぶ紀の川から引水した大規模灌漑用水工事でした。
 この工事により、畑を水田に変え藩財政の建て直しに貢献しました。頭首工については現在より60mほど上流にあって大型の割石を沈めた上に竹編みの蛇篭を並べたもので、2ヶ所の船通しと1ヶ所の魚道がありました。

 昭和28年の大水害により流失、国営災害復旧事業により左岸の荒見、安楽川井と統合され現在の近代的な構造物となりました。災害復旧事業は昭和32年12月完了。

 その後施設の老朽化が進み、国営造成施設整備事業によりゲートを更新し、平成5年に完了しました。
 水路は国営付帯県営灌漑排水事業紀伊平野地区や団体営事業により昭和33年から順次コンクリート三面張りに整備しました。

 現在、国営かんがい排水事業第二十津川・紀の川地区(平成11年度着工)により頭首工の再整備(護床工・魚道・沈砂池整備等)を、国営農業用水再編対策事業大和紀伊平野地区(平成13年度着工)で水路の再整備を進めています。

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水土里ネット荒見井(あらみい)

 

改良区の概要
所在地 紀の川市杉原(すいばら)316-3 (tel:0736-73-2138)
設立年月日 昭和27年7月31日(認可番号:和40)
地域 紀の川市(旧 那賀郡粉河町)
受益面積 101.7 ha(平成28年12月31日現在)
組合員数 298 人(同上)
沿  革

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荒見井水門

 初代藩主徳川頼宣時代、寛永7年(1667)に開削されました。

 昭和28年大水害により流失するまでは旧取水口(現取水口上流120m)から斜め上流冨士岩に向かって流心に鋭角の井堰でした。
 構造は旧藤崎井堰と同じく蛇篭を並べたものでした。

 現在は統合井堰藤崎頭首工から取水しています。
 水路はかつての井筋を安楽川井との連絡水路として国営災害復旧事業で整備されました。

 現在、国営事業により水路の再整備を進めています。

 

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水土里ネット安楽川井(あらかわい)

 

改良区の概要
所在地 紀の川市桃山町元381 (tel:0736-66-8960)
設立年月日 昭和27年5月15日(認可番号:和28)
地域 紀の川市(旧 那賀郡桃山町)
受益面積 207.8 ha(平成28年12月31日現在)
組合員数 535 人 (同上)
沿  革

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 歴史的詳細は不明ですが、旧井堰は桃山町百合の渡船場付近にあって、幹線は段新田方面と市場方面に分岐し、紀の川・貴志川・石榴川で囲まれた一帯を灌漑しています。

 昔、紀の川は竹房一の宮からこの井筋に沿って流れていましたが、次第に河川が北に寄って今の河道を流れるようになり、旧河道沿岸に新田が開かれ用水路として利用されるようになったものであると思われます。

 昭和28年の大水害により旧井堰が流失し、統合井堰藤崎頭首工から連絡水路(荒見井幹線水路でもある)を経て旧来水路に接続しました。

 現在、国営事業により水路の再整備を進めています。

 

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水土里ネット六箇井(ろっかい)

 

改良区の概要
所在地 和歌山市楠本285 (tel:073-461-1024)
設立年月日 昭和27年7月30日(認可番号:和39)
地域 岩出市、和歌山市
受益面積 467.1 ha(平成28年12月31日現在)
組合員数 1,366 人(同上)
沿  革

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六箇井水路

 古代からあったようですが記録はなく、元禄10年(1,697)大畑才蔵が測量し、その指導監督の下に元禄14年(1,701)、山口西村(和歌山市山口)から広西村を経て直川村(和歌山市直川)まで掘り継いだ(延長した)と「才蔵日記」に書かれています。
 さらに船所(和歌山市船所)から西へ農業水利を良くするため、文化2年(1,805)船所に住む中村成近が紀州藩の許可を得て掘り継ぎ工事を始め、直川村から松江村(和歌山市松江)に至る16kmの水路を文政5年(1,822)に完成させました。
 取水口は西野村(岩出町西野)にあったものを延宝8年(1,680)清水村(岩出町清水)まで掘り上ったと岩出組大庄屋藤田家の古文書に記されています。現在の頭首工地点から40m下流に当たります。

 しかし洪水時しばしば破損し、しかも中村成近の堀継ぎ後水量的に取水が困難になって来ました。
 このため山口村の大庄屋木村清兵衛が天保6年10月(1,835)官許を得て翌年3月までかかって現在地に取り入れ口を改めました。

 その後、昭和12年、紀の川改修工事に伴い鉄筋コンクリート構造の暗渠350mを築造しました。

 昭和28年の大水害により旧井堰が流失し、国営災害復旧事業により統合井堰岩出頭首工が造成され、現在の姿になりました。

 現在、国営かんがい排水事業第二十津川紀の川地区(平成11年度着工)により、頭首工の再整備(護床工、魚道等)を、国営農業用水再編対策事業(平成13年度着工)で水路の再整備を進めています。

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水土里ネット紀の川左岸(きのかわさがん)

 

改良区の概要
所在地 和歌山市鳴神736-2 (tel:073-471-5386)
設立年月日 昭和26年8月1日(認可番号:和2)
地域 和歌山市
受益面積 949.4 ha(平成28年12月31日現在)
組合員数 2,659 人(同上)
沿  革

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宮井用水

 本土地改良区の前身「宮井普通水利組合」により、当時編纂された”宮井提要史”によれば、日前宮堰祭由来書に垂仁天皇の16年(275)に日前宮が、毛見浦浜から現在の地秋月に遷座したときから、ひのくま(日前)くにかけす(国懸)両宮の神領に濯ぐ井水を宮井と名付けた旨の記述があるのが最も古い記録とされ、それ以前のことはつまびらかでありません。

 近代的な組織としての水利組合は、明治23年6月公布された水利組合条例に基づき、明治23年12月、和歌山県知事の認可を受け、宮井普通水利組合を設立したことにより始まりました。

 その後、宮井の上流に小倉井、下流域に四箇井普通水利組合が設立され、それぞれが和歌山市上三毛及び吐前地先に井堰を設けていましたが、その構造上台風等大雨による出水の度に流失や導水路埋没の被害に遭い、また度重なる干ばつに苦しんできました。

 水路については、明治・大正・昭和を通じて溝岸修築工事を組合直営で行い整備を進めました。

 昭和21年には県営の宮井用水改良事業が計画され、3年の継続事業で頭首工(宮井・小倉井)の統合と水路の改良工事を完成させました。

 しかし、昭和28年7月18日の豪雨と同年9月25日の台風13号は紀の川筋の全井堰を壊滅させ従来の井堰を根本的に改める必要に迫られました。
 幸い、昭和22年、国により策定された十津川・紀の川総合開発事業の中に井堰統合が計画されていたので、この災害復旧事業を総合開発事業に組み入れ、昭和28年度に先ず県営事業として着手し、翌29年10月からは国営事業として引き継がれ、昭和32年12月に現在の岩出頭首工が完成しました。
 右岸の六箇井、左岸の宮井、小倉井、四箇井の4堰の統合井堰です。
 これに伴い昭和33年9月1日、左岸側の宮井・小倉井・四箇井が合併して紀の川左岸土地改良区が設立されました。

 名称等の変遷を年代順に記すと下記のとおりです。
 ①明治23年12月2日 宮井普通水利組合設立認可(和歌山県認可第152号)
 ②昭和26年8月1日  宮井土地改良区設立認可(和第2号)
 ③昭和33年9月1日  紀の川左岸土地改良区への名称変更認可(指令耕第920号)

 幹線水路は、小倉井・宮井・四箇井統合に伴い連絡水路として国営災害復旧事業の中で、それより下流は県営・団体営かんがい排水事業で整備されました。

 現在、国営かんがい排水事業第二十津川紀の川地区(平成11年度着工)により、頭首工の再整備(護床工、魚道整備等)を、国営農業用水再編対策事業大和紀伊平野地区(平成13年度着工)で水路の再整備を進めています。

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水土里ネット新六箇井(しんろっかい)

 

改良区の概要
所在地 和歌山市園部1346-2 (tel:073-461-5260)
設立年月日 昭和27年3月7日(認可番号:和12)
地域 和歌山市
受益面積 61.0 ha(平成28年12月31日現在)
組合員数 356 人(同上)
沿  革

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  かつては海草郡有功村六十谷に井口があり、水路は鳴滝川の下の水門を通り和歌山市船所の本郷において分岐して二流となり、一方は楠見・中・市小路・栄谷・次郎丸・榎原から木の本方面に向かい、一方は粟を経て紀の川に沿って西に流れ、北岸一体を灌漑していました。
 この地域は上流の六箇井の区域で、
文化2年(1805)に中村成近によって船所・中・市小路・粟・福島まで掘り継ぎ、同11年(1814)より8カ年の歳月を費やして更に松江まで継続し、文政5年(1822)に至って完成したのですが、末端であるため水がなかなか届かず永年にわたって水不足に苦しんでいました。

 この状態を見かねて元治元年(1864)楠見信貴が官許を得て井堰を築設し、新六箇井と名付けました。

 その後、出水の度に補修しながら80年が経過し、不完全な井堰のため水不足に悩まされてきました。
 新頭首工が設けられたので、用水の取水源及び取水が確保されましたが、この地域の水路は土水路、または木柵土水路であり、すでに老朽化しているため、上流部では、水路から用水があふれ、逆に下流部では1週間に1度しか水が掛からない状況であったので、この際、水路を改修して用水の合理的な取水を図り、今後の営農、耕作に支障がないよう、用水系統を確立して地区内の生産力を最大限に発揮し、生産量を引き上げるという最終目的の達成を期し、用水施設の維持管理の徹底と合理化を測るため、下記の通り県営の国営付帯かんがい排水事業が施行されたのです。

■新六ケ井頭首工が国営によって完成されるに伴って、取入樋門の操作しにくい老朽化した施設を完全なものに改修する。
■用水路は老朽化し、すべてその機能を半減している現況であるので、用水路を三面コンクリート巻立を行って、その昨日を高めるとともに漏水量を減少する。
■現在のため池掛りはその貯水能力に応じて、その受益面積を縮小し、その面積は井堰掛りに含め、これらの地域に自然配水するため水路勾配の調整、路線の位置変更等を行う。
■現況の分水構造は極めて不完全なものであり、また堰上げ分水が多いので、これを改めて自然分水方式により完全なものとする。
■ため池掛りが井堰掛りに変更する地域及び末端100m未満の水路については、関連団体営事業として改良する。

 しかし、この井堰や水路も昭和28年の大水害により流失、国営災害復旧事業によって旧堰の跡に造成されました。
 水路についても取水口以下県営、団体営事業により改修されました。

 なお、現在は、国土交通省(前建設省)により建設された紀の川大堰に取水口位置の変更を行い、新六ケ井頭首工は撤去されました。

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