施設の紹介

頭首工の概要

国営災害復旧事業で農林省(現農林水産省)が造成しました。
所  有 : 農林水産省
受  託 : 紀の川土地改良区連合
実管理 : 各土地改良区

 

頭首工名 位置 流域
面積
(km2)
計画
洪水
流量
(m3/s)
堰上
水位
(m)
タイプ 受益
面積
(ha)
取水量
(m3/s)
小田 橋本市(旧 伊都郡高野口町)小田 934 5,000 66.3 フローティング 705
1,129
藤崎 紀の川市(旧那賀郡那賀町)藤崎、 
(旧粉河町)荒見
1,186 5,500 36.8 フローティング 924
1,149
岩出 岩出市清水 1,572 7,500 17.7 フィックスド 1,615
2,865
新六ケ 和歌山市六十谷 1,626 3.5 フローティング 61
460

注1.受益面積 : 上段は平成11年度賦課面積、下段は災害復旧事業計画当初面積(S28)
注2.新六ヶ頭首工は、H22年3月撤去。(但し、部分撤去であって完全撤去ではない)

 

連絡水路の概要

国営災害復旧事業で農林省(現農林水産省)が造成しました。
所 有 : 農林水産省
受 託 : 紀の川土地改良区連合
実管理 : 各土地改良区

水路名 延長(m) 適用
小田 3,836 m 小田取水口から七郷井、三谷井接続点まで
藤崎 5,812 m 荒見取水口から安楽川井接続点まで
岩出 3,930 m 左岸取水口から四箇井接続点まで

施設の紹介

小田頭首工(おだとうしゅこう)
藤崎頭首工(ふじさきとうしゅこう)
岩出頭首工(いわでとうしゅこう)
新六ヶ頭首工

小田頭首工(おだとうしゅこう)

 

頭首工の概要

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名称 小田頭首工
河川名 1級河川 紀の川
位置 橋本市(旧高野口町) 小田
形式 部分可動
堤高 2.8m
堤長 221.4m
(固定部 153.8m、可動部 67.6m)
計画洪水量 6,500m3/s
基礎地盤高 63.5m
取入水位 66.3m
計画洪水位 72m
ゲート構造 ローラーゲート
6×3.5×1門(土砂吐)
20×2.4×3門(洪水吐)
施設の管理

頭首工は、河川に設けられた農業のための取水施設です。
 古来、この施設は米づくりと共に発達してきました。かつて、石・木材を組み合わせた堰が主流でしたが、第二次大戦後以降コンクリート構造が主体となり、耐久性も格段に向上しました。
 しかし、河川内にある構造物は、流水による磨耗が激しく、施設の更新が早まる傾向にあります。また、改築に要する費用は多大なものであり、国・県の補助を受けなければ、農業者のみの負担では困難です。
 現在、国営事業で頭首工や水路などの改修整備をしています。

国からの受託管理者 紀の川土地改良区連合
実管理者 小田井土地改良区
年間維持管理日程 戸開け式(取水開始) : 6月上旬
戸閉め式(取水停止) : 9月下旬
非かんがい期(冬期)の通水

 

堰の歴史

統合井堰(とうごういせき)

 小田井頭首工は、統合井堰と言って、昭和28年の大水害によって流出した小田井、七郷井の2井堰を国営災 害復旧事業により一つに統合したものです。さらに、三谷橋上流200mのところから取水し紀の川左岸側をかんがいしていた三谷井ポンプも現在は七郷井と同 様、小田井水路から分水しています。
 したがって、現在は3つの井堰を統合したものです。

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統合した各井堰の歴史

■ 旧小田井
  江戸時代、宝永4年(1707年)に第5代紀州藩主徳川吉宗(後の8代将軍)の命を受けて大畑才蔵が開設着手しました。井堰から水を取り入れている水路 は、橋本市(旧高野口町)から岩出市根来の根来川まで延長30kmに及ぶ長い水路であるうえに、土水路であるため漏水などで末端まで水が届かず水管理は大 変でした。また、井堰も木と石で造ったもので、洪水の度に流され、その復旧に苦労が絶えませんでした。
 十津川・紀の川総合開発事業により、上流にダムを造り水源を確保するという計画のもとに、昭和28年の大水害に伴う国営災害復旧事業によって現在のような堅固な構造物に生まれ変わりました。

■ 旧七郷井
 江戸時代、元禄12年(1699年)には存在していたという資料があり、小田井水路より古くからあったことになります。取水位置は現在の小田井分水地点 より上流にあったようですが、近年は下流180mのところにありました(図参照)。
 昭和28年の大水害により流失したので統合井堰の小田井から連絡水路を経て県立医科大学付属病院紀北分院裏で分水し、弁天谷川をサイホンでくぐり旧水路に接続しています。

■ 旧三谷井
 江戸時代、明和8年(1771年)に開削されました。昭和の始めまで井堰で取水していましたが、その後ポンプ取水に変わりました(図参照)。ポンプ取水も昭和34年の伊勢湾台風により被災し、取水困難となりました。
 小田井から分水するほうが経済的なこともあり、昭和36年から七郷井と同地点で小田井水路から分水を受け、三谷橋に添架したサイホンで紀の川を渡り旧来の水路に接続しています。

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藤崎頭首工(ふじさきとうしゅこう)

 

頭首工の概要

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名称 藤崎頭首工
河川名 1級河川 紀の川
位置 紀の川市(旧那賀町) 藤崎
紀の川市(旧粉河町) 荒見
形式 部分可動
堤高 1.5m
堤長 212.0m

(固定部 160m、可動部 52m)

計画洪水量 9,900m3/s
基礎地盤高 35.3m
取り入れ水位 36.8m
取り入れ水量   7.55 m3/s
  右岸 B 2.3×H 1.4×2門 4.59t(藤崎井)
  左岸 B 2.3×H 1.4×3門 2.96t(荒見・安楽川井)
計画洪水位 42.75m
ゲート構造 ローラーゲート
10×2.5×4門(土砂吐・洪水吐各2門)

 

施設の管理

頭首工は、河川に設けられた農業のための取水施設です。
 古来、この施設は米づくりと共に発達してきました。かつて、石・木材を組み合わせた堰が主流でありましたが、第二次大戦後以降コンクリート構造が主体となり、耐久性も格段に向上しました。
 しかし、河川内にある構造物は、流水による磨耗が激しく、施設の更新が早まる傾向にあります。また、改築に要する費用は多大なものであり、国・県の補助を受けなければ、農業者のみの負担では困難です。
 現在、国営事業で頭首工や水路などの改修整備をしています。

 

国からの受託管理者 紀の川土地改良区連合
実管理者 藤崎井土地改良区、荒見井土地改良区
年間維持管理日程 戸開け式(取水開始) : 6月上旬
戸閉め式(取水停止) : 9月下旬
非かんがい期(冬期)の通水

 

堰の歴史

統合井堰(とうごういせき)

 昭和28年の大水害により流失した藤崎、荒見 安楽川の3井堰を災害復旧事業により一つに統合し工事は昭和32年12月に完成しました。
 建設場所は旧藤崎井堰から60m、同取入口から100m下流の地点で右岸側は紀の川市(旧那賀町)藤崎、左岸側は紀の川市(旧粉河町)荒見にあります。
 現在は3つの井堰を統合したものです。

 

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統合した各井堰の歴史

■ 旧藤崎井
 第2代紀州藩主徳川光貞の命を受けて大畑才蔵が、元禄9年(1696)から元禄14年にかけて開削しました。この工事は、紀の川市(旧那賀町)藤崎から 和歌山市山口まで約24kmに及ぶ紀の川から引水した大規模灌漑用水工事でした。それまでは畑作でしたが、水田の増反をもたらし、藩財政の建て直しに貢献 しました。
 現在は、藤崎頭首工の右岸から農業用水を取水し、紀の川市(旧那賀町)から和歌山市までの約578haをかんがいしています。

■ 旧荒見井
 初代藩主頼宣時代寛永7年(1667)に開削されたものです。
 昭和28年災害までは、旧取水口(現取水口上流120m)から斜め上流富士岩に向かって鋭角の井堰でした。
 現在は藤崎頭首工の左岸(藤崎井取り入れ口の対岸)から引水し、紀の川市(旧粉河町)内の荒見から遠方(おちかた)までの約104haをかんがいしています。連絡水路によって安楽川井に通じています。

■ 旧安楽川井
 元の井堰は鎌倉時代に開削され、紀の川市(旧桃山町)百合の渡船場付近にあって、幹線は段新田方面と市場方面に分岐し、 紀の川 ・貴志川・石榴川で囲まれた一帯をかんがいしていました。
 井堰の名称は、安楽川一帯をかんがいすることに由来するもので、昔、紀の川は竹房一の宮からこの井筋に沿って流れていたのが、次第に河川が北に寄って今の河道を流れるようになり、旧河道沿岸に新田が開かれ、用水路として利用されるようになったものです。
 現在は開水路とトンネル(1433m)によって荒見井とつながっており、藤崎頭首工から取水されています。

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岩出頭首工(いわでとうしゅこう)

 

頭首工の概要

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名称 岩出頭首工
河川名 1級河川 紀の川
位置 岩出市 清水
形式 部分可動
堤高 2.90m
堤長 258.2m
(固定部 118.2m、可動部 140.0m)
計画洪水量 12,000m3/s
基礎地盤高 14.8m
取入水位 17.7m
取入水量 15.76m3/s
  右岸 B 3.2×H 1.6×1門 4.96m3/s(六箇井)
  左岸 B 3.5×H 2.4×2門 10.80m3/s(紀の川左岸)
計画洪水位 23.0m
ゲート構造 ローラーゲート
洪水吐30×2×4門、土砂吐10×3×2門
現在の頭首工の構造

旧井堰(被災前)は 木工沈床を主体とした簡単なものでしたが、新しい井堰は、
基 礎:ケーソン基礎(箱型コンクリートを水中に沈めたもの)
躯 体:鉄筋コンクリート造 167m
操作橋 延長 258m
洪水吐:4門(ローラー式30 ×2m)
土砂吐:2門(ローラー式10 ×3m)
魚 道:2所 幅員2m及び4.4m
流筏路:1所 幅員4.4m

となっています。現在は右岸魚道を躯体の右岸側に新設し、旧魚道・流筏路を固定堰としています。

施設の管理

 頭首工は、河川に設けられた農業のための取水施設です。
 古来、この施設は米づくりと共に発達してきました。かつて、石・木材を組み合わせた堰が主流であったが、第二次大戦後以降コンクリート構造が主体となり、耐久性も格段に向上しました。
 しかし、河川内にある構造物は、流水による磨耗が激しく、施設の更新が早まる傾向にあります。また、改築に要する費用は多大なものであり、国・県の補助を受けなければ、農業者のみの負担では困難です。
 現在、国営事業で頭首工や水路などの改修整備をしています。

 

国からの受託管理者 紀の川土地改良区連合
実管理者 六箇井土地改良区、紀の川左岸土地改良区
年間維持管理日程 戸開け式(取水開始) : 6月上旬
戸閉め式(取水停止) : 9月下旬
非かんがい期(冬期)の通水
堰の歴史

統合井堰(とうごういせき)

 昭和28年の大水害 (西暦1953年、7月18月紀州水害、9月24・25日台風13号)によって流失した宮・小倉井、四箇井及び六箇井を国営災害復旧事業により一つに統合しました。これが、現在の岩出頭首工です。
 この災害以前に発足していた国営十津川・紀の川総合開発事業の中の一つとして、井堰の統合(いくつものモノをまとめること)が計画されていました。
 この昭和28年の被災に対して県営災害復旧事業で発足したものを、井堰統合計画に沿ったものとして国営事業とし、また事業主体も和歌山県から農林省(現 農林水産省)に移しました。 岩出頭首工建設位置は、旧宮・小倉井堰の約300m上流、旧六箇井堰の地点で両岸とも岩出市清水地先にあります。

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統合した各井堰の歴史

■ 旧宮井
 歴史が最も古く、古代紀州の豪族紀(き)氏を祭る日前宮の支配区域 を流れる水路で、当初は音浦(和歌山市鳴神、高速道路直下)、次いで井ノ口(和歌山市和佐)、戦国時代は木下籐吉郎秀吉の太田城水攻め時点 では、上三毛(和歌山市上三毛国土交通省和歌山工事事務所船戸出張所付近)に取水口があり、昭和28年の被災前には、小倉井と統合して小倉井から取水していました。 昭和23年時点で 1,411haの水田をかんがいしていました。

■ 旧小倉井
 岩出市船戸、現在のJR船戸駅と国道24号線岩出橋間にあり、昭和23年時点325hの水田をかんがいしていました。

■ 旧四箇井
 和歌山市吐崎(川辺橋上流部)にあり、昭和23年時点、四箇郷一帯375haの水田をかんがいしていました。

■ 旧六箇井
 古代からあったようですが、記録はなく、元禄10年(1,697)大畑才蔵が測量し、その指導のもとに、元禄14年(1,701) 山口西村(和歌山市山口)から広西村を経て直川村(和歌山市直川)まで掘り継いだ(延長した)と「才蔵日記」に書かれています。
  更に船所(和歌山市船所)から西へ農業水利を良くするため、文化2年(1,805)船所に水に住む中村成近が紀州藩の許可を得て掘り継ぎ工事を始め、直川 村から松江村(和歌山市松江)に至る16kmの水路を文政5年(1,822)に完成させました。
 取水口は宮井取入口川向かいの西野村(岩出市西野)にあったものを延宝8年(1,680)清水村(岩出市清水)まで掘り登ったと岩出組大庄屋藤田家の古文書にあります。現在の頭首工地点から40m下流に当たります。
 しかし、洪水時しばしば破損し、しかも中村成近が掘り継ぎ工事をした後からは水量的に取水が困難になってきました。このため、山口村の大庄屋木村清兵衛 が天保6年10月(1,835年)官許を得て翌年3月までかかって現在地に堰の取り入れ口を改めました。
 その後、昭和12年(1,937)内務省の 紀の川 改修工事に伴い、鉄筋コンクリート構造の暗渠(複断面)350mを築造し、現在の状況になりました。昭和23年時点754haの水田をかんがいしていました。

 

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新六ヶ頭首工

 

頭首工の概要

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新六ケ頭首工(右岸側からの写真)

現在、この頭首工はありません。

H18年まで利用していましたが、その後は、国土交通省により
建設された紀の川大堰に取水口の位置が変更されました。
頭首工及び帯施設は、H20~21年度にかけて撤去されました。

 

名称 新六ヶ頭首工
河川名 1級河川 紀の川
位置 和歌山市六十谷
形式 全面可動
堤高 1.4m
堤長 365.8m
(固定部 72.7m、可動部 293.1m)
計画洪水量 12,000m3/s
基礎地盤高 0.40m
取入水位 3.5m
計画水量 2.64m3/s
ゲート構造 転倒ゲート(洪水吐) 
  38.5×1.0×3門
  40.0×0.75×1門
  30.0×0.75×2門
  34.75×1.0×2

ローラーゲート(土砂吐)
  10.0×2.2×1門

施設の管理(撤去されるまで)

頭首工は、河川に設けられた農業のための取水施設です。
 古来、この施設は米づくりと共に発達してきました。かつて、石・木材を組み合わせた堰が主流でありましたが、第二次大戦後以降コンクリート構造が主体となり、耐久性も格段に向上しました。
 しかし、河川内にある構造物は、流水による磨耗が激しく、施設の更新が早まる傾向にあります。また、改築に要する費用は多大なものであり、国・県の補助を受けなければ、農業者のみの負担では困難です。
 現在実施中の国営事業で水路の改修整備を行う予定です。

国からの受託管理者 紀の川土地改良区連合
実管理者 新六箇土地改良区
年間維持管理日程 戸開け式(取水開始) : 6月上旬
戸閉め式(取水停止) : 9月下旬
非かんがい期(冬期)の通水
堰の歴史

かつては上流の旧六箇井堰から取水されていた地域

 江戸末期から海草郡有功村六十谷に井口があり、水路は鳴滝川の下の水門を通り和歌山市船所の本郷において分岐して二流となり、一方は楠見・中・市小路・ 栄谷・次郎丸・榎原から木の本方面に向かい、一方は粟を経て紀の川に沿って西に流れ、北岸一体を灌漑していました。
 この地域は上流の六箇井の区域で、 文化2年(1805)に中村成近によって船所・中・市小路・粟・福島まで掘り継ぎ、同11年(1814)より8カ年 の歳月を費やして更に松江まで継続し、文政5年(1822)に至って完成しましたが、末端であるため水がなかなか届かず永年にわたって水不足に苦しんでい ました。
 この状態を見かねて元治元年(1864)楠見信貴が官許を得て井堰を築設、新六箇井と名付けました。その後、出水の度に補修しながら80年が経過し、不完全な井堰のため水不足に悩まされてきました。
 昭和13年(1938)、県が改良事業を計画し、3カ年の継続事業でコンクリートの固定堰とし用水の増加をはかりました。上流地域の井堰はコンクリート 堰にして伏流水を完全に堰き止めると下流の水利に大きな影響を与えるため、新工法による改造は認められなかったのですが、ここは紀の川の最下流なのでコン クリート堰としました。
 その後、昭和21年から3ヵ年計画で改良工事が行われました。
 しかし、この井堰も昭和28年の大水害により流失、国営災害復旧事業によって旧堰の跡に造成されました。その後一部改良されて上記の姿になっていました。
 水路についても取水口以下県営、団体営事業により改修されました。

 なお、現在は、国土交通省(前建設省)により建設された紀の川大堰に取水口位置の変更を行い、本堰は撤去されました。

 

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今まであった頭首工等施設の状況

 

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